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月見酒と卵焼き

人の身とは、案外不便なものである。

 

昼間何をしたという訳でも無いというのに眠れぬ身を持て余した歌仙兼定は、何をするでもなく本丸の中を歩いていた。

幸い今宵の月は明るく、灯りを持たずとも暗闇に悩まされることはない。

どうせなら月でも見上げようかと庭に面した縁側まで足を向け、


 

「ん」

 

「お?」


 

そこに、先客の姿を見つけた。

こちらに気がついたのか、先客は首だけをぐいと曲げて妙な体制で振り返ってみせる。

その頬は微かに赤みを帯び、手元には徳利やら盃やらが並んでいた。


 

「こんな時間に一人で酒盛りかい、主」

 

「月見酒ってやつさー、お前こそこんな時間にどうしたんだ?」


 

既にいくらか酒の入っているらしい彼の主、海尋は、へらりと頬を緩めるとちょいちょいと手招きをした。

誘われるままその隣に膝をついてみると、なるほど確かに月がよく見える。

海尋はふふんとなぜか自慢げに笑ってみせ、歌仙兼定についと盃を突き出した。


 

「折角だから付き合っていかないか?」

 

「……そうだね、それも風流かもしれないな」


 

どうせ眠れないのだ、月でも見て過ごしたほうが有意義な時間を過ごせるだろうと、歌仙兼定は海尋の隣に腰を据える。

海尋は満足げな表情を見せると、歌仙兼定の手をとって自分が持っていた盃を取らせた。

されるがまま歌仙兼定が受け取ったその盃に、徳利に残っていた酒がとくとくと注がれる。


 

「空けといてくれないか?折角付き合ってくれるんなら、もう少し持ってくる」

 

「ああ……そういうことなら」


 

盃を少し持ち上げ応えると、すぐ戻るな、と言いながら盆に空の徳利と皿を乗せ、厨の方へとぺたぺたと歩いて行った。

本来ならばこのような場合臣である歌仙兼定が動くのが道理なのだろうが、いかんせんあの主はこうした雑用を自分からやりたがる。

止めても無駄だということをそろそろ悟りだした歌仙兼定は、大人しく手渡された盃を一口で干した。

微温びた液体がほの甘く舌を刺激し、通り過ぎた道筋が一瞬の熱を帯びる。

だが確かに月見酒にはもう少し熱い酒が似合いそうだ、と思いながらぼんやりと月を眺めていると、ほどなくしてまたぺたぺたと足音が聞こえてきた。


 

「延長入りまーす、なんて」


 

よく分からない言葉を発しながら置かれた盆の上には、新しい盃と徳利、そして皿に盛られた金色の卵焼きが乗せられていた。

そちらに気を取られているうちに海尋は空になっていた盃にほのかに湯気の立つ酒を注ぐと、自分の分に手酌をする。

そうしてかんぱーい、と言いながらかんと盃を打ち合わせると、一つ口をつけてふにゃりと笑ってみせた。

酌さえさせてくれなかったな、と苦笑を浮かべながら歌仙兼定も同じように盃に口をつける、先程とは違い適度な熱さの酒が、冷える夜をじんわりと温めるようだ。


 

「あー……やっぱ熱燗はほっとするなー……」

 

「年寄りくさい主だね、ところでこの卵焼きは?」

 

「さっき焼いた、残りは朝飯の時にでもと思ってたけど、お前が付き合ってくれるってんなら話は別だからな」


 

折角酒を飲むのにつまみも無しじゃ寂しいだろ、と箸を勧める。

その箸を取って一口大に切り分けられた小振りの卵焼きを口に運ぶと、普段食卓に出てくるよりも塩気の強い出汁の味が、嫌味なく舌の上に広がった。

ゆっくりと咀嚼をしてから酒を含むと、塩気によって引き立てられた酒の甘さが先程よりも強く舌先を歓ばせる。

相変わらず料理の腕はいい、尤も、審神者としてそれが必要なのかどうかは理解しかねるところだが。


 

「どうだ?酒に合うかなーと思ってちょっと塩辛めにしてみたんだが」

 

「うん、悪くないね」


 

期待の目でこちらを見てくる海尋にそう返してやると、だろー?と自慢げに言って自分も卵焼きを一切れぱくりと口に放り込んだ。

しばらく月を見上げながら酒と肴を楽しみ、二人他愛もない会話を交わす。

皿の上があらかた綺麗になった頃合、ふと海尋が思い出したように歌仙兼定の方に視線をやった。


 

「そういやお前らって、夢は見るのか?さっきちょっと悪い夢見ちまってさー」

 

「夢?そうだね……確か和泉守が見たとか言っていたけれど、僕はまだ見たことがないな

 折角夢を見られる体になったのなら、早く見てみたいものだとは思っているけれどね」

 

「そか、酒飲むと眠りが浅くなるって言うし、丁度良かったんじゃないか?」


 

夢は眠りが浅い時に見るらしいぞ、と聞き伝えの知識を披露しながら自分の盃、ついでに空になっていた歌仙兼定の盃に酒を注いだ。

それでもう大分少なくなったらしい徳利の中身を再び自分の盃に注ぐも、少し多かったのかあとほんの少しが徳利の中に残る。

海尋はんー、と一度唸ると、その中身を徳利に口を付けないようにしながらぐいと上を向いて直接口の中に流し込んだ。


 

「そういうのは雅じゃないな、……もう少し取ってこようか?」

 

「悪い悪い、んー……俺は良いかな、少しは眠くなってきたし」

 

「そう、じゃあ僕もこれで最後にしておこう」


 

最後の一杯をちまちまと飲みながら、先ほどの海尋の言葉を不意に思い出す。

悪い夢、というのは一体どのような夢だったのだろうか、己の主であるはずのこの男が見る悪夢というものを、あまり想像することができない。

一度引っかかってしまえば気にかかるもの、歌仙兼定がそれを尋ねようとした丁度その時、くい、と空を仰いで海尋が盃の中身を空けた。

ぷはあ、と小気味よい息を吐いて満足げに微笑む姿に、己が機を逸したことを察する。


 

「ごちそうさまー、付き合ってくれてありがとな、歌仙」

 

「……お安い御用だよ」


 

ここで食い下がるのも雅ではないな、と浮かんだ疑問を意識の隅へとおいやる。

そうしている間に当然のように徳利や盃を片付けようとしていた海尋が、くしゅん、と一つくしゃみをした、改めて見ると羽織は羽織っているものの身につけているのは薄い浴衣一枚だけだ。

よくもまあそんな格好で月見酒などしていたものだ、歌仙兼定は軽く溜息をつくと、自分の上着を一枚海尋へと羽織らせた。


 

「全く……ほら、上着を貸してあげるから、それを着てもう部屋に戻るんだね」

 

「えー、でもそしたら歌仙が寒いんじゃないのか?」

 

「文系とはいえ主よりは頑丈に出来ていると思うよ、ほらそれも僕がやっておくから」


 

海尋から皿や徳利の乗った盆を奪い取ると、しばらくは不満げな表情を浮かべていたが、やがて諦めたように息をついた。

被せられた上着を大人しく羽織り直し、まあ風邪でもひいたらお前たちに迷惑かけるしなー、と言い訳でもするかのように一人ぼやいてみせる。


 

「……じゃあお願いするわ、歌仙もあんまり夜更かししすぎるなよ」

 

「童じゃないんだ、心得ているさ

 主こそ、明日に響くようでは困るよ」

 

「おう、こんないい月を見られたんだ、きっと今度はよく寝られるさ

 じゃあおやすみ、俺が夢に遊びに行っても歓迎してくれよ?」


 

ひらひらと手を振って、海尋は自分の部屋の方へと歩いて行く。

普段自分が纏っている服を身につけたその姿に少し不思議な気分になりながら、歌仙兼定も厨の方へと足を進めた。

あんな言い方をされたら彼の夢を見てみたくなるものだ、と少しだけ思いながら、ようやく訪れてきた眠気に歌仙兼定は一つ欠伸を噛み殺した。

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