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小狐丸を拾ったはなし

「ああやっと見つけた!ここに居たんだね!」


庭で布団を干していた海尋に、小走りで駆けてきた燭台切光忠が慌ただしく声をかけた。
んー?と間延びした声を上げながら海尋が肩ごしに振り返る、手伝いをしていたらしい平野藤四郎と縁側で茶を啜っていた鶯丸も燭台切光忠の方へ視線をやった。


「どうした燭台切、何かあったのか?」

「君にお客さんが来てるよ、全く君は探すと中々見つからないね!」

「人をリモコンか何かみたいに、……ってお客?誰だ?」

「小松さん、って名乗ってたよ。
 公の用事だけど急がないからゆっくり準備して来てくれ、って」


げ、と海尋が僅かに顔を引きつらせる。
思い当たる中に小松という知り合いは一人しか居ない、彼は政府の審神者事業を支援するとある会社の社長秘書兼ボディーガードという肩書きを持つ人物だ。
海尋を審神者へとスカウトしたのはその会社の現社長で、その後もこの小松が政府と海尋とのパイプ役を務めてくれている。

その小松が公の用事で訪れた、ということはつまり政府からの命を請けての訪問と見て間違いないだろう。
しかもゆっくり準備をして良い、ということは逆にきちんと準備をして来いという事なのだろう、あいにく今日はまだジャージ姿のままだ。
それにしても政府から人が遣わされるような事をしただろうか、と海尋はひとしきり思考を巡らせる、残念なことにいくつか思い当たる節があった。


「ま、行くしかないよなー……ああそうだ、とりあえず応対に歌仙向かわせてくれるか?」

「歌仙くん?分かった、見つけて伝えておくよ」

「では、残りの布団のことは僕にお任せ下さい」

「頼んだぞ平野、あー折角お茶淹れてくれたのに飲めなくて悪いな、鶯丸」

「気にするな、残った饅頭も俺と平野で片しておこう」

「……行きがけにつまんでこうと思ったのに……まあいいや、有り難く食えよ!」


びしっ、と鶯丸に向けて指を立てながら、引っ掛けていた草履を放り出して廊下へと上がる。
乱雑に脱ぎ捨てられたそれを揃える平野藤四郎にありがとな、と声をかけ、海尋はぱたぱたと自分の部屋の方へと駆けていった。
きっとこうやっていつも動き回っているから探すと見つからないんだろうな、と苦笑を浮かべて、燭台切光忠は新しく請けた命を果たすため思い当たる場所を探しに向かった。



*****



「お待たせしてすみません」


四半刻もしないうちに、審神者としての言わば制服である浄衣に着替えた海尋は客間の襖を開いていた。
客間の椅子に腰掛けていた二人の男が揃って海尋へと目を向ける、彼の刀である歌仙兼定と、がっしりとした体躯にスーツを纏った男……予想通り、海尋が良く知る小松だった。
小松はボディーガードということもあってそ身体つきこそ刀剣男士にも引けを取らないが、その目元は温厚な光を宿している。


「いや、私も訪れる前に一報を入れるべきだった
 ……ありがとう、彼のことはもう下がらせてくれて構わない」


小松は鷹揚にかぶりを振ると、歌仙兼定の方にちらと視線をやって言った。
海尋と歌仙兼定が揃ってきょとりと意外そうな顔を見せる、来客の際にも近侍として刀剣男士を一人控えさせることは審神者の間では一般的であったからだ。
小松も今審神者として働いているわけではないとはいえその事は承知しているはず、となれば彼には出来れば同席して欲しくない要件、という事なのだろうか。


「……分かった、それなら僕は部屋の外で控えているよ」


先に口を開いたのは歌仙兼定の方だった、口調こそ平素のものではあるが、その口ぶりからは有無を言わせぬ意志が滲み出ている。
小松もそれを感じ取ったか微かに苦笑を浮かべてそうしてくれ、と返した、たかが襖一枚では室内の会話を完全に遮ることはできないが、そこまで隠さなけれないけないような要件ではないらしい。

悪い、と顔の前で軽く手を立てる海尋に肩をすくめて応えると、歌仙兼定は開けっ放しになっていた襖の間から滑り出て、とん、と軽い音を立ててそれを閉めた。
彼なりに多少の緊張もあったのか、小松が僅かに詰めていた息をふうと吐き出す。
そして一度つと目を閉じると、気を取り直したように自分の荷物の方へと手を伸ばした。


「……早速本題へ入ろう、まずはこれを」


そう言って小松は荷物の中から紫色の包みに覆われた細長い何物かを机の上に置いた。
所謂太刀袋というものだ、おそらくは何らかの太刀がそこに収められているのだろう。
小松がするりとその包みを解く、予想通り一振りの太刀がその中から姿を現した……が、それを見て海尋はうぐ、と微かに呻いた。
白色の柄を持つ大振りの太刀、その伝承から、小狐丸、と呼ばれる太刀だ。
勿論何もないのに呻いたということはない、海尋にはこの小狐丸に関して政府から使いを出される心当たりがあった訳で。


「……ああ、そう言えば近況の報告を受けるのを忘れていたな、何か変わったことは無かったか」


海尋の表情を伺いながら小狐丸を取り出した小松が、ふいに口を挟んだ。
ばつが悪そうに視線を泳がせる海尋を真っ直ぐに見つめて、すっと目を細めてみせる。
海尋は暫くあー、と不明瞭な言葉を返していたが、やがて諦めたようにひとつため息をついた。


「……何があったとか聞かなくてもどうせ全部分かってるでしょーに、わざわざ聞くの性格悪いですよ?」

「そう言ってくれるな、自主的に報告するかどうかも確認するよう言われているのだ」

「政府の陰険……ああそういえば報告をうっかり忘れていたんですが、少し変わったことがありましてね……」


酷く白々しい調子で前置きをして、海尋は数ヶ月前の出来事を語り始めた。
主を亡くした小狐丸を発見したこと、その小狐丸が主になってほしいと言い出したこと、そしてその言葉に乗せられて彼を墨俣の地へと送り出したこと。
小松は海尋の話を時折頷きながら静かに聞いていたが、事の顛末を聞き終えるとなるほどと小さく呟いた。


「これで得心がいった、 ……実はその小狐丸、他のある審神者によって墨俣から回収された物だったが、人の姿を顕さなかったんだ」

「人の姿を?」


刀剣男士を顕現させることの出来る刀はしばしば戦場にて発見され、回収された刀は審神者の力によって人の姿を得ることになる。
だが時折どうしてかその力を拒み人の身を得ようとしない刀があるということは風の噂で聞いたことがあった、刀の状態では人と同じような思考など出来ないとされているにもかかわらず、だ。


「他の審神者も試してみたが結果は同様だった、そこで調べたところ、この本丸から墨俣へと送られた記録が残っていた」

「………やっぱもう調べついてんじゃないですか……」

「そう腐るな、そこで鈴鹿君が事情を知っていると見て私が遣われたということだ
 先程の話が事実ならばこの小狐丸は君以外を主と仰ぎたくないために人の身を拒んだのだろう……ならば、君ならば人の身を顕させることができるはずだ」


そう言って、小松は机の上の刀を取り上げ海尋へ差し出した。
思わぬ話の流れに、へ、と海尋が間抜けな声を発する。
しばしぱちぱちと瞬きをした後、いやいやいや!と勢いよく首と手を振ってみせたが、小松はそんな事は気にも留めない様子で海尋の手にその刀をを握らせた。


「そんな……あり得ないですって、ただの刀が、人を……主を選ぶなんて、そんな」

「仮にも神を相手にしているんだ、奇跡なんてざらに起きるだろう……兎に角、試してみればすぐに分かる事だ」

「いや、でも………うー……分かりましたよ、やれば良いんでしょやれば……出てこなくても知りませんよ?」

「構わない、どうせ誰も出来なかったんだからな、駄目で元々だ」


有無を言わさぬ小松の態度に海尋は渋々小狐丸を受け取ると、懐から呪符を取り出し意識を集中させた。
呼吸に合わせて力をめぐらせる、声なき声を尋くため力を捧げる、呪符から離れた術式がその身を伝い手にした刀へと流れ込んで行く。
だがどうにもいつもとは様子が違った、何が違うのかうまく表現できないが……どうにも、うまく力が流れ込んで行かないような感覚がある。
かといってどうすれば良いのかなど分からない、兎に角海尋は教科書通りの術式を続けた。


「………我が力聞こし召せ、我が名聞こし召せ、我が名は鈴鹿海尋……」


神に捧げる己が名を口にした瞬間、かちりと何かが噛み合ったような感覚、途端今まで上手く流れなかった力がぶわりと巡り始めた。
急に力を持って行かれて一瞬視界が白くなる、だが何とか意識を繋ぎ止めると、急速に組み上がってゆく術式の手綱をとった。
声なき声が、刀としてのさだめ果たす事を望む声が、届く。


「我が前に其の御姿顕せ、其の声尋かせよ……主命において、疾く為し給え!」


注がれた力が、堰を切ったように溢れ出す。
人の力と神の力、混じり合ったそれが光と化して海尋と小松の視界を奪う。
力の一部が桜の蕾の姿をとり、落ちる、それを追うように、力が人の姿へと収束する。


「大きいけれど小狐丸、いや、冗談ではなく、まして偽物でもありません
 私が小!大きいけれど!」


低く落ち着いた声が、聞き覚えのあるその声が、海尋の耳へと届く。
海尋は目を閉じたままで一度深呼吸をすると、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
ふわりとした白い髪、黄色を基調とした装束、赤色の瞳。

ふむ、と小松が満足げに息をつき、海尋の方はまさか、といった表情で目の前に顕れた男を見つめる。
人の姿を顕した太刀……小狐丸は、海尋の姿をしばし見やると、不意にその目元をゆるめ、口角を幸福そうに持ち上げた。


「……再び貴方とまみえること、お待ちしておりましたよ、ぬしさま」

「…………は?」


小狐丸の言葉に、海尋がなお一層動揺の色を表す。
だが小狐丸は海尋の態度に怯むこともなく、ついと詰め寄ってその手を取った。


「よもやお忘れではありますまい、貴方はあの日途方に暮れていた私をお救いくださり、ぬしさまとなると約束してくれた」

「いや約束した覚えはな……じゃなくて!
……覚えてる訳がない、記憶は肉体に依存してる、人の身を失ったお前が覚えてるわけない」

「ですがこの小狐丸、確かにぬしさまの事を覚えておりまする」

「そんなのあり得ないだろ!」

「……いや、あり得ないということは無い」


二人の口論、というよりも一方的な拒否の言葉に割って入った小松は、口元に手を当てふむと考え込むような仕草をしてみせた。
軽く流していた視線を不満げに押し黙った海尋に戻す、小狐丸もようやく小松の存在に気づいた様子でそちらを見やった。


「……鈴鹿君、君が望んだのだろう」

「………………は」

「肉体を失ってもその記憶を審神者が保管していれば記憶は失わない、普段君の刀剣男士を刀にするときそうしているはずだ
それを無意識のうちにしてしまったんだろう、この小狐丸に覚えていて欲しいと望んだから」

「……………ッ!!」


淡々と告げられた推測に思わず言葉を失う。
しかしその推測を頭から否定することは出来ない、むしろ奇跡だの何だのと言われるよりもよっぽど納得のいく答えだ。
かといって、すんなり頷くには矜恃とでも言えばいいのか照れとでも言えばいいのか、とにかくそうしたものが邪魔をする。
そして何よりも、隣で酷く酷く晴れやかに浮かべられた小狐丸の笑顔が、それを是認する意気を奪っていった。


「ぬしさまも私のことを待っていてくださったのですね」

「黙れ、調子にのるな、第一意図的にやったんじゃないならノーカンだノーカン!!」

「いい事じゃないか、主と刀が互いの力を求め合う、健全なことだ」

「小松さんまでそういう事を!だいたい姿を顕せられたからって俺がお前の主になれるわけじゃ」

「いや、君が小狐丸の人の姿を顕す事ができたならそのまま隊列に加えさせるよう言われている、どうせこの小狐丸を回収した審神者の下には既に小狐丸が在籍しているそうだからな」

「なんでよりにもよってそういう話がついてんですか!ああもう!!」


しばらく反論の糸口を探してぱくぱくと口を動かしていたが、やがてそれを一度飲み込むと深い深いため息を吐き出した。
もうこれ以上あれこれ言っても何もならないことをようやく悟ったのだろう、経緯がどうであれ、小狐丸が隊列に加わってくれるのはありがたい。
項垂れたままちらりと横目で小狐丸の方を伺い見る、微笑ましそうにゆるりと細められた赤い瞳が目ざとくそれを捉えた。


「……後悔しても、知らないからな」

「後悔などしませぬ、絶対に」

「じゃあ後悔するくらいこき使ってやる、覚悟してろ馬鹿狐」


ふいと顔をそらして一呼吸つき、小松の方へと向き直る。
小松もふっと口元をゆるめて一つ頷くと、自分の荷物を手元に引き寄せた。


「では私は戻るとしよう、見送りは結構だ」

「分かりました、……社長サンにも、また食事でも行こうって伝えといてください」

「ああ、伝えておこう、では頑張ってくれ」


椅子から立つ小松の先回りをして海尋がすっと扉を客間を開く、途端、その側で片膝を立てて控えていた歌仙兼定とはたりと目があった。
物言いたげな視線を向ける歌仙兼定にうっ、と怯んでみせる、歌仙兼定は海尋のその態度を見てやれやれといった風に軽くため息をついた。


「……僕が送って行くよ、その代わり、事の次第は後でゆっくりと説明してもらうからね」

「あ、あはは……はーい」


歌仙兼定の姿を認めた小松がまた少しだけ表情を固くする、だがそれ以上何を言うでもなく彼に伴われ門の方へと去っていった。
その背を見送って、小狐丸が何やら口を開くよりも先に海尋がくるりと踵を返し奥へと歩き始めた。
一瞬きょとりとした小狐丸もすぐにその後へと従う、足音が続いて来ているのを聞いて、海尋は歩みは止めないまま少しだけ振り返った。


「……お前には早速出てもらうからな、精々疲れて尻尾巻いて帰ってこい」

「必ず敵を討ちぬしさまのもとへと戻りましょう」

「敵の所まで進むかどうか決めるのはお前じゃ無い、調子には乗るなよ
 ……それともう一つ、これは一度しか言わ無いからな」


そう言って、無遠慮に進めていた足を止める。
今度は振り返りはしない、そのままで数呼吸後、流石に小狐丸が不思議そうに一歩歩みを進めた頃、その気配から顔を背けながらようやく海尋がわずかに口を開いた。


「………………ありがとう」


蚊の鳴くような声で、零された言葉。
それを言い放ったきりもう駆け出すような速度で歩みを再開した海尋を、思わずぽかんと見送ってしまっていた小狐丸が慌てて追い掛ける。
どうしても顔を見せるつもりもない様子でざかざかと歩く海尋に、小狐丸は己の顔が思わず緩んでいくのを感じた。


「……ぬ、ぬしさま、もう一度だけ」

「一度しか言わないって言っただろ!!とっとと戦場行くぞ!!!」


とうとう走り出してしまった耳の赤い己が主にふふと機嫌よさげに微笑んで、小狐丸はその背を追いかけた。
 

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