神様に祝福を
………本当に、行くんだな」
「うん、行ってくるよ
……ここまで準備しておいて、今更行かないもないでしょ?」
いつもとは異なる服装、旅装束に身を包んだ乱藤四郎は、僅かに眉尻を下げる海尋に向けていつものように笑いかけた。
ふたりの立つ本丸の玄関は、誰かが気をきかせでもしたのか他のものたちの姿はない。
彼にしては非常に珍しく不安げな表情を隠そうともしない海尋に、乱藤四郎は少しだけ苦笑を浮かべた。
事の始まりは数日前、乱藤四郎が修行の旅へ出る許可を海尋へと願い出たことだった。
既に宴会や兄弟たちとのお別れは済ませ、後はもう門を出て旅に出るだけ、という段まで来ている。
「そんなに心配しないで大丈夫だよ、ボク、もう結構強いよ?」
「知ってるさ、けど……そうじゃないんだ、そうじゃなくて、だな……」
視線を外して海尋が言葉を濁らせ、下がった口角をきゅっと引き結ぶ。
……本当に珍しいことだ、この主がここまで感情を誤魔化そうとしないとは。
いや、むしろ珍しいというよりも、懐かしい、と言ったほうが正しいのかもしれない。
乱藤四郎がこの本丸に顕現したのは所謂初期刀と呼ばれる歌仙兼定の次、海尋の初めての鍛刀により顕現した刀剣男士であった。
それゆえ他のものたちと比べても海尋との付き合いも長い、そして彼が審神者に成り立ての頃の姿も知っている。
今はもう随分と取り繕うのに慣れてしまったようだが、初めのうちは自分たちを戦に送るたび、傷を負って帰ってくるたびにこうして不安げに顔を歪めていたものだ。
もしかしたら今でも心の中ではあの捨てられた子供のような顔をしているのかもしれない、こうしてそれを表出すことが無くなっただけで。
「………大丈夫だよあるじさん
ボクは、ちゃんとあなたのところへ帰ってくるから」
項垂れる海尋の頭に手を伸ばして、その柔らかい黒髪をわしゃわしゃと撫でる。
海尋は乱藤四郎の言葉に俯いたままでふっと目を見開くと、戸惑うように眉根を寄せた。
……やはり、海尋は乱藤四郎がどこへ向かうのかを、知っているのだろう。
修行に出ることを決めたのは乱藤四郎だが、それを提案したのは本部で、行き先の手配をしたのも本部だ。
彼自身己がどこへ行くのかをまだ知らない、ただ本部がわざわざ準備するくらいなのだから、それなりの所へ行かされることはとっくに覚悟の上だ。
乱藤四郎は海尋の頬に両手を添えると、ゆっくりとその顔を持ち上げさせた。
黒曜色をした瞳がゆらゆらと揺らめく、それはずっと見ていたいほどとっても綺麗だけれど、いつまでもそんな顔をさせる訳にはいかない。
「ボクを信じて、海尋」
まっすぐとその黒曜を見つめて、囁きかける。
海尋は同じように乱藤四郎の瞳をまっすぐと見つめ返す、やがてすうと瞼を落とすと、ふっとひとつ息をついた。
再び瞼を開いて、ゆっくりと笑ってみせる、まだ少しだけぎこちないその笑みは、それでも乱藤四郎の大好きな主の笑顔であった。
「……………約束、だからな」
「うん、勿論だよ
……そうだ、折角なら行ってらっしゃいのキスも付けて欲しいな?」
おどけるようにそう続けると、海尋は少しだけ肩をすくめて、すっと乱藤四郎の額に手を伸ばした。
細い指で乱藤四郎の前髪をかき分け、そこに口づけを落とす。
ちゅ、とキザな音を立てて額に触れた柔らかな唇の感触に、乱藤四郎はふふ、と笑みをこぼした。
それは、きっと祝福。
大切なひとから贈られる、かみさまの祝福だ。
「……いってらっしゃい、乱
ご馳走作って待ってるから、ちゃーんと連絡入れろよ?」
「うん、毎日お手紙書くね! ……じゃあ、行ってきます!!」
ようやくいつものようにからりと笑った海尋の頬に、お返しとばかりに不意打ちで口づけて。
きょとんと目を丸くしている海尋にひらりと手を振ると、乱藤四郎は門をくぐった。