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「随分と酷い格好をしているね」


「うるせー………」



所々が切り裂かれた着物を着ることを諦めて腰のあたりに纏わせ、インナーのまま不機嫌そうに膝を立てて座る和泉守兼定に、歌仙兼定は苦笑いを浮かべながら声をかけた。
和泉守兼定の側には彼の助手を自称する堀川国広の姿もある、和泉守兼定の態度に歌仙兼定と堀川国広は顔を見合わせて肩をすくめた。
彼らが居るのは日本庭園式の広い庭を臨む縁側だ、今でこそ静けさを取り戻しているとはいえ、あちこちに倒れた家具や所々に残る新しい刀傷が、先程までここで戦いが繰り広げられていたことを示す。
そしてその戦いの中で傷を受け真剣必殺を発動させた和泉守兼定は、ぼろぼろになった服を引っさげたままこうしてふてくされているという訳である。

ぱしゃん、と池の鯉がのんきに水しぶきを上げる、この季節の割に日差しはぽかぽかと暖かく、昼寝にはちょうど良さそうな気候だ。
だが、いくら気候がいいとはいえざわざわと数人の人が忙しく動き回っているこの状況では、恐らく落ち着いて昼寝と洒落込むことなどできないだろう。



「主さん、まだ帰れそうにないですか?」


「そうだね、本部から来ているのは審神者ではない者ばかりのようだから」



動き回る洋装の人たちの中で唯一浄衣を纏う彼らの主、海尋の姿を眺めて、和泉守兼定は深く息をついた。
この場で唯一の審神者ということもあってか、海尋は他の者たちにひっきりなしに呼びされてはくるくると走り回っている。
審神者でないと分からない、もしくは審神者であった方がよく分かる物事もあるのだろう、それにしても海尋のことを頼りすぎのように見えなくもないが。

戦場となったこの広い屋敷は、審神者に住居兼職場として与えられる本丸と呼ばれる場所だ。
といってもここは彼らが普段暮らしている本丸ではない、本来ならば他の審神者が居るべき本丸である。
本来は安全な場所であるはずの場所が戦場になった理由は簡単だ、この本丸の主たる審神者が罪を犯したゆえ、海尋たちが攻め込んだ、それだけだ。

この本丸の審神者は、一部の刀剣男士たちのみを重用し、他の者たちは精神的にも肉体的にも乱雑な扱いをしていたらしい。
相手は仮にも神の名を持つものたちだ、扱いを過てば何が起こるかわからないため基本的にそうした扱いは禁じられている。
そのためこの本丸の審神者を本部へと連行するため海尋が派遣された、そして重用されていた一部の刀剣男士たちの抵抗を受けたため戦いになった、という訳だ。
それなりに苦戦はしたものの既に制圧は終えて審神者も捕らえられている、おそらくはその後処理と証拠となるものの押収に走り回っているのだろう。

和泉守兼定が立てていた膝を胡座に組み直す、まだ癒えてはいない傷がぴりっとした痛みを訴え僅かに顔をしかめる。
それを取り繕うようにちらりと歌仙兼定の方に視線をやると、歌仙兼定はそれに気づいていないどころかそれ以上に険しい表情を浮かべていた。
珍しいことだ、性格がどうかは置いておくとして、歌仙兼定というものは比較的穏やかな表情を浮かべていることが多いと思っていたのだが。



「んだよ二代目、まだ帰れねえっつーなら仕方ねえだろ?」


「そうじゃないよ和泉守、ただ少し……、面白くない話を聞いたからね」


「面白くない話、ですか?」



堀川国広が小首を傾げて聞き返す、和泉守兼定も同じようにきょとんと歌仙兼定を見返した。
見てくれだけならまるで兄弟のような二人が揃って浅葱色の視線を向けてくる様子に歌仙兼定が思わず苦笑を浮かべる、そしてふっと息をつくと庭の向こうの海尋の方へ目をやった。
海尋は本丸に残された刀剣男士たちと何やら話をしている、だがその内容までは聞こえない。



「……………主が、鬼、と呼ばれているそうだよ」


「「鬼???」」



和泉守兼定と堀川国広が声を揃える、想像通りの反応に歌仙兼定はまた頬を緩めた。
表情自体は随分と穏やかなものに戻っているがその内心までそうであるかどうかは分からない、僅かに細められた瞳は、まだ波立っているようにも見える。



「最近はこういった役目を回される事も多くなったからね、……それに、僕や君たちを連れることも多い」



いやに感情の見えない声色で呟かれた言葉に、和泉守兼定は思わず息を詰めた。
こういった役目……素行の悪い審神者の摘発や、歴史修正主義者との内通が疑われる審神者の審問といった任務を本部の方から押し付けられることは、確かに最近多い。
ある意味身内切りとも言えるような任務だ、ゆえに海尋もその任務に出撃させる刀剣男士には多少ならず気を使っているのだろう、それに歌仙兼定や和泉守兼定、堀川国広が選ばれることが少なくはないのも事実だ。
身内切りに、自分たちの存在、それに鬼という呼称を結び付けられないほど、和泉守兼定は鈍感ではない。



「もっとも、そう陰口を叩くのは本当に一部のくだらない下臈ばかりだそうだから、気にするほどでも無いのかもしれないけどね」



それでも、いやむしろだからこそ面白くない、といった風に歌仙兼定が呟く。
面白くないのは和泉守兼定も同じだ、かつて自分の主であったあの人と、あの忙しなくて寝穢くて口ばかり達者で変にガキのような間抜け面が、似ているはずもない。
他の審神者を、刀剣男士を斬らせる度に夢にうなされ、たった一人で隠れて涙を落としているようなあの男が、鬼であるはずなど、ない。

取り留めのない苛立ちが頭の中をぐるぐると回り、思わず視線を落としていた和泉守兼定の両頬が、ぺしりと軽い音を立てて叩かれる。
痛みもないそれにびくりと顔を上げる、そこには件の男、今の主である海尋が、相変わらず緊張感の無い顔でへらりと笑っていた。



「なーに三人揃って景気の悪そうな顔してんだよ」


「いや、いい加減待たされ続けるのも飽きてきたね、という話をしていただけだよ」


「あー……悪いな、もうちょっとで終わると思うからさ
 傷のほうは大丈夫そうか、和泉守」


「は――……あ、あぁ、この程度大したことねえよ」



不意に思考を現実に引き戻され、思わず言葉を詰まらせる。
それをどう受け取ったのかは分からないが、帰ったらすぐに手入れするから、と海尋は少しだけ心苦しげに微笑んだ。
自分たちは主の刀だ、道具だ、そんなものに、そんな顔をする必要など無いのに、こんな男が、鬼だなどと。



「………似合わねえな」


「似合わないねぇ」


「似合いませんよねぇ」



思わずこぼした言葉に、歌仙兼定と堀川国広が便乗するようにうんうんと頷く。
話の見えない海尋は何だよ一体、とじとりとした視線を二人に送る、だが二人共とぼけて笑うばかりで答えようとはしない。
自然海尋の視線は和泉守兼定に送られる、が、どうにも今はうまくそれをあしらえる気がしなくて和泉守兼定は視線を落とした。

視界に海尋が纏う衣の白が、そしてその白に僅かに散った赤黒い飛沫が飛び込む。
抵抗を示したこの本丸の一部の刀剣男士たちを制圧……破壊、したときに、避けきれなかったものなのであろう。
足手纏いになるほど前線に海尋が立つことは無い、が、海尋はそのぎりぎりまで近づいて、できるだけ自分たちと同じ場所に立とうとする。
唇を引き結び、それでも真っ直ぐと前を見据え続ける戦場での姿は、けれどもしかしたら、いつか見たかつての主と重なる部分もあるのかもしれない。

そこまで思わず考えて、いや、とすぐさまそれをかき消した。
……きっとそれは幻なのだ、この主は、自分たち刀剣が“主”へと抱く理想を鏡のように映す、映そうと、する。
きっと己が彼に鬼になって欲しいと願えば、彼はそう在ろうとするのだろう、だからこそ、そう願ってはいけない。
この人は、あの人の代用品などではない、この人であるからこそ、己の力を捧げたのだから。



「………あんま無理すんなよ、海尋」



手を伸ばしてその黒髪を撫でる、正装をした今は烏帽子を被っているため、どちらかといえば後頭部を撫でるような形だ。
自然と少しだけその頭を引き寄せるようになる、僅かに近づいたその瞳がきょとりと瞬いて、そしてふっと笑った。



「……そんな怪我をしてるやつには、言われたくないな」



軽く肩をすくめてから、和泉守兼定を覗き込むために屈んでいた背を伸ばし直す。
そして歌仙兼定と堀川国広にじゃあ兼さんのこと頼むなー、と軽い口調で言ってから、また他の場所へと姿を消した。

本丸はそろそろ落ち着きを取り戻し始めている、おそらくは大方カタが付いてくる頃合なのだろう。
自分たちの本丸へ帰れるのもそう遠くはないはずだ、いい加減地味に肌が冷える、これが寒い日でなくて良かった。



「………似合わないままで、いてほしいものだね」



和泉守兼定からはその表情を窺い知れない場所に顔を向けた歌仙兼定が、ぽつり、とそう呟いた。

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