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小狐丸を拾わなかったはなし

「……ん?」



買い物からの帰り道、街道沿いの石にぼんやりと腰掛ける人影を見て、海尋は訝しげに首をかしげた。
白く長い髪に、黄を基調とした服装、そして腰に下げられた一振りの刀。
ふむ、と一人ひとしきり考えたあと、海尋は一度上着のポケットを確認してその人影の方へと足を向けた。



「こんにちは、何かお困りかい?」

「………貴方は?」



声をかけてみると、その人物は海尋が近づいたことにすら気づいていなかったのかようやく顔を上げる。
耳のように跳ねた髪に、朱い瞳、間違いなかった。



「ただの通りすがりってやつだよ……お前、小狐丸だろ」

「ああ、貴方も審神者……なのですね」

「まあな、こんな所で座り込んでどうしたんだよ、お使いの途中か?」



どこかぼんやりした様子のその男……刀剣男士の一人であるはずの小狐丸の隣に、海尋はよいせ、と腰掛ける。
小狐丸はそれを拒むでもなく、気にするでもなく、ただ海尋から視線を外して元のようにどこか中空を眺めた。
ただのお使いにしては普通ではないその様子に海尋は小さく首をひねった、海尋の本丸にはまだ小狐丸はおらず、また主によって個性も変わるという話は聞くが、他人に聞いた印象と随分と違う。



「少し、途方に暮れておったのですよ……その間に、腹もすいて動けなくなってしまいました」

「はは、まるで迷い犬だなー、でもそういうことなら運がいいよ」



そう言って、肩に下げていた鞄の中をごそごそと漁る、取り出したのは少し大ぶりなタッパーと小さな包みだった。
不思議そうに覗き込む小狐丸にちょっと待ってな、と声をかけ、もう一つ鞄から取り出したウエットティッシュで軽く手を拭くと小さな包みの方をほどき、中身を取り出す。



「ホントは帰りにつまみ食いしようと思ってたんだけどなー」



中から出てきたのはごま塩のかかった少し大ぶりの握り飯だった、ラップに包まれたそれを半分に割り、軽く四角に握り直す。
海尋の手元をじっと見つめる小狐丸に少し苦笑を浮かべながらもうちょっとだから手綺麗にしとけ、とウエットティッシュを一枚手渡した。
大人しく手を拭きだした小狐丸を尻目にタッパーの方の蓋を開いた、小狐丸が鼻をすんと鳴らし、はっと吸い寄せられるようにその中身へと目線をやる。



「も、もしやそれは……」

「ああ、油揚げだよ
 この間町に来て食べたうどん屋の油揚げがすげえ美味しくってなー、皆にも食べさせたげたくてこれだけで売ってもらったんだ」



水気の多いそれを一枚取って少しだけ絞って先ほどの握り飯を袋状のその中へと詰め込み、ほら、と目を輝かせている小狐丸の手に乗せてやる。
小狐丸は尻尾でも振りだしそうな勢いで一度ほう、と嘆息をつくと、いただきます、と言ってぱくりとその簡易いなりずしに噛み付いた。
幸せそうにもそもそと咀嚼する様子をなぜか満足げに見つめてから、タッパーの中からもう一枚油揚げをつまみ上げる。



「本当は酢飯だけど、油揚げ自体が美味しいからごま塩でも結構いけると思ってな、どうだ?」

「大変美味しゅうございます、いや、助かりました」



口の中のものをこくりと飲み込んで答える小狐丸に笑い返して、海尋はもう一つ作った簡易いなりずしをはい、と口元に差し出す。
小狐丸は反射的にそれに噛み付こうとして、はたと気づいたように口を止めた。



「……ですが、人数分買っていたのではないのですか?
 こんなに頂いてしまっては、足りなくなってしまうのでは」

「んー、大丈夫大丈夫、俺は食べたくなればまた買いに来ればいいし、もう一枚

は……まあ文句は言わせないさ、気にするな」



もう作っちゃったし、と有無を言わせず咥えさせると、多少納得がいかなさそうな顔をしながらも大人しくそれを味わい始めた。
海尋は膝の上に広げた色々をてきぱきとしまい込み、名残惜しそうに最後の一口を口に入れる小狐丸に水筒を差し出す。



「少し落ち着いたら主の所まで送るよ、帰り道は分かるか?」



水筒を口に運ぼうとしていた手が、はたと止まった。
ついと朱色の目を伏せ、口元を小さく引き結ぶ。



「私の、ぬしさまは………おそらく、身罷りました」

「………………そう、なのか」

「はい、本丸が敵襲にあい、散り散りになってしまいましたが……分かるもの、なのでございますね」

「……ああ、そうだろうな」



本来ならば審神者が死んだ時点で刀剣男士も肉体を失うのが常だ、だが審神者としての力が強い者だった場合、その死より暫くは彼らの肉体が残ることが報告されている。
この小狐丸もそうした類なのだろう、それで途方に暮れていた、という訳か。
主を守り通すことが出来なかったことへの後悔か、押し黙ってしまった小狐丸の頭を、ぽすりと撫でてやる。



「……お前の主は、俺と違ってよっぽど良い主だったんだろうな」

「そう……なのですかね、ぬしさまはお気に入りの刀剣以外は、使われない方だったので……ほとんど、言葉を交わしたことも無いのです」

「そうだとしても、さ、どうせ人の身を得るなら、強いほうがいい」



刀剣に人の身を与えるのは審神者だ、ならば、審神者としての力が即ち刀剣男士としての力に直結するのは自明だ。
ならば、力を持つ審神者の下に付ける方が、彼らにとっても幸福に決まっている。



「……けど、だったら尚更俺と一緒に来てもらわないといけないな
 番所まで連れて行くよ、そしたら政府の方がちゃんと新たな主の下まで導いてくれるはずだ」

「……………」

「大丈夫、前の主が強い力を持っていた刀剣は次もそういった主が選ばれるもんさ、心配はいらない……存分に、その力を振るえるさ」



柔らかい髪を安心させるように撫でてやりながら、微笑んでみせる。
小狐丸は伏せていた顔を持ち上げて海尋と視線を合わせ、戸惑うように少しだけ口の端を持ち上げた。



「……それならば、貴方が私のぬしさまになってはくれませぬか」

「は?」



急なカウンターに、思わずきょとんと動きをとめ、小狐丸を見返す。
小狐丸は自分の言葉反芻するようにこくりと頷くと、今度こそ海尋に向けて笑いかける。
海尋の方はというと、一旦止まった思考回路を徐々に復活させてようやく飲み込んだ相手の言葉に、は、と一つ乾いた笑いをこぼした。



「それは、駄目だ、審神者自身が刀剣を持ち帰るのはルール違反だし……それに第一、俺の下になんてこない方が良い」

「それは、なにゆえ」

「俺の審神者としての力は弱い、俺の所になんて来ても……碌な力も振るえやしない、退屈な、敵の残党ばかりしか相手にできず、刀として腐っていくだけだ」



口元に歪んだ笑みを浮かべて、黒曜の瞳にとろりと濁りを滲ませて。
目をそらしながらてそう言い放った海尋とは対照に、小狐丸は先程までの惑いなど吹っ切ったかのようにその視線を追って海尋の顔を覗き込んだ。



「ですが、私は貴方のようなぬしさまが良い………貴方が、良い」

「それは気のせいだ、偶然参ってる時にちょっと優しくされたから付け上がってるだけだろ、冷静になればそんな気持ちも忘れる」

「忘れなどしますまい」

「そうでなくとも今の主に貰った肉体を失えば全て忘れるさ
 そんな状態で俺の下に来たところで、他の主の下よりも力を得られないことにも気づかず、間抜けに、哀れに、腐れていくだけだ、今の、俺の刀たちのように」



それは不幸だろう、と嗤う。
胸の辺りがどろりと重くなり、ひゅ、と呼吸にも不自由を感じる。
躰の中に押し込めている感情が、醜く、情けなく、溢れてくる。
だが小狐丸は怯むこともなく、ふふ、と笑ってみせた。



「貴方は本当にお優しいのですね、己の刀たちを想い、ご自分のことばかりお責めなさる」

「そんな事はない、勝手に分かったつもりになるな、俺は……」

「それでも私は貴方の刀になりたい、貴方が何と言われようと」



海尋の唇に指を立ててその言葉を制し、己の言葉を押し通す。
ぐ、と睨みつけるような海尋の視線に真っ向に己の視線をぶつけ――先に折れたのは、海尋の方だった。
ふーっ、と長くわざとらしく息をつくと、小狐丸の視線から逃れるように、くるりと背を向けた。



「………酔狂な狐だ」

「では、私を迎えてくれるのですか?」

「いや、それは審神者として出来ない……けど、手段が無い訳じゃ、ない」



背を向けたままで、ぽつり、ぽつりと言葉を零す。
小狐丸からはその表情は窺えない、けれどその声は、戸惑うように微かに揺れていた。



「お前の肉体を失わせ刀剣の状態にする、その状態ならばお前を過去へと送ることもできる…………『小狐丸』が発見されることのある、承久の時代へも」

「……それで?」

「そこで俺が……俺の刀たちが、お前を見つけて連れ帰るのは、何の問題もない」



確率が高いとは言えない、そして他の主の刀剣の肉を奪い過去へ送るなど、明確に禁止はされていないとはいえかなりグレーゾーンだ。
そんな賭けのような馬鹿な考えしか浮かばない自分の脳を恨みながら、またそうまでしようとしている自分を嘲笑う。
本当に、どうかしているとしか思えない、こんな狐など、適当にごまかして番所まで連れて行けば、それで正しい実力を持つ主の下へ往かせてあげられるのに。



「貴方の刀となれるのならば、私はそれで」

「……安全とは言えないぞ、刀剣の状態で敵に破壊されるかもしれない」

「御心配召されるな、貴方の下へ来るまで、この小狐丸は壊れやしませぬ」

「本当に……馬鹿な狐だ」



一つため息を付いて、ついでに小さく笑みをこぼして、海尋は内ポケットから守り刀を取り出した。
審神者の力を制御するために使われる特殊な守り刀だ、学校では通称魔法のステッキだったが、ずいぶん無骨なマジカルアイテムもあったものだ。
海尋は守り刀を構え、小狐丸の方へ向き直ると、瞳を閉じて己の意識を集中させる。



「じゃあ覚悟は良いか、お前の今の主との繋がりを絶ち、その肉体を奪う……後戻りは、できなくなるぞ」

「……そうですね、ならば一つ」



小狐丸の言葉に、海尋は瞼を持ち上げる。
真っ直ぐに見つめる朱色の視線と、黒曜の視線が、絡む。



「貴方の名前を、お聞かせ願いたい」

「………海尋、鈴鹿海尋だ、忘れていいぞ」

「もう一度相見える日を楽しみにしておりますよ、……海尋さま」



小狐丸の戯言にふと口元を緩めて、今度こそ目を伏せて外界から己を遮断する。
教科書通りに術式を組み上げ、目の前に存在する神の存在を五感以外の感覚で感じ取る。
その神に宿る人の力――審神者の力を、己が力を以て、ひとつ、ひとつと解き解く。

やがて、からり、と人の聴覚へと乾いた音が聞こえ、海尋は静かに目を開いた。
目の前にはもはや人の姿はなく、一振りの太刀が落ちているだけだ。
海尋はそれを拾い上げると、ふう、と一息をついた。
刀剣を過去に送るのは流石に本丸の機能の力を借りなければできない。



「………見つからないようにしないとなー」



普段の調子を取り戻すために、独り言にしては大きな声をあげて。
海尋はそろりと上着の中へ拾い上げた太刀を隠して、本丸への帰路へついた。

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