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恋と言うには淡く

うー、と本日何度目かのうめき声を漏らした海尋に、今日の近侍を務める膝丸はちらりと目線をやった。
低い机に向かった海尋は、白い紙に筆を滑らせている。
どうやら本部に提出を命じられた報告書のようだ、希にこうして筆を使って書いたものの提出を求められるらしい。
そこにどんな理由があるのかは詳しくは知らない、筆跡を見ることで力の安定度を量るそうだが。

そしてこの筆を使って文字を書く、という行為を、海尋は非常に苦手としていた。
紙に綴られた文字はお世辞にも美しいとは言えない、なんでもそつなくこなす彼の弱点の一つだ。
不意に海尋があー、と頭を抱える、おそらくはまた書き直しになってしまったのだろう。
先ほどからそうしたことが多くなっている、そろそろ休憩が必要な頃だ。
そう判断した膝丸は読んでいた本を閉じる、茶でも淹れてこようと腰を上げかけた丁度その時、するりと開いた襖の隙間から加州清光が顔を出した。



「あーるじ、馬当番終わったよ」


「おー、お疲れ清光」



新しい紙を用意していた海尋が、その手を止めて加州清光の方へ顔を向ける。
海尋が筆を置いていることを認めた加州清光は、ぱっと頬を緩ませると襖を開けて部屋へと入ってきた。
えい、と海尋の背中におぶさるようにして抱きついた、こてりと肩に乗せられた頭を海尋がぽんぽんと撫でる。
出端を折られた膝丸は浮かしかけた腰をごまかすように足を組み直して、ちらりと横目で様子を伺った。
仲良さげにじゃれあうふたりの姿を見ていると、どうにも釈然としない思いがもやもやと首をもたげる。



「主もそろそろ疲れてくる頃じゃない? 俺がお茶淹れてきてあげよっか」


「……そうだな、んじゃちょっと休憩にするかー」



猫のように懐きかかりながら、加州清光が先程まで皺の寄せられていた海尋の眉間を突っつく。
海尋はそれに苦笑いを一つ浮かべると、よっこいせ、と組んでいた足を解いて投げ出した。

二人の会話に混じる時機を逃していた膝丸は、慌てて清光よりも先に立ち上がった。
茶も淹れられないような気のきかないものだと思われるのは癪だ、そもそも今の近侍は自分で、先に主に休憩を入れさせねばと思ったのも自分なのだから。



「待て加州殿、茶なら俺が淹れてこよう」


「え? 良いよ別に、俺今暇だし」



急に立ち上がった膝丸に、海尋と加州清光がきょとりと目を丸くする。
揃って向けられる視線に若干の居心地の悪さを感じながら、膝丸は加州清光の言葉に首を振った。



「だが今日の近侍は俺だ、そのくらいの役目も果たせなくては兄者に笑われる」



頑として譲らない膝丸に、海尋が困ったように僅かに眉を寄せる。
声色に不機嫌さが現れてしまったのも原因の一つだろうか、膝丸は己の態度を恥じるように視線を逸らした。
この主と共にいると、たまにこうして己の感情を律することができないことがある、これも人の身を得てさほど時が経っていない所為であろうか。
少しだけ妙な空気になってしまった中、加州清光は膝丸と海尋とを交互に見やって、ああ、と呟いてからにやりと意地悪く口の端を持ち上げた。



「……もしかして、俺と主がラブラブだから妬いてんの?」


「なっ、何を……!」



思いもよらない加州清光の言葉に、さっと顔が赤面するのを感じる。
しかもあろう事か、海尋もああ、と納得したようにぽんと手を打ってみせた。



「おー、俺ってばモテモテ? やだぁ私のために争わないでぇ、ってやつ?」


「主は色男だからねー、仕方ないねー」


「ち、違うっ! そういうものでは無い!!」



悪乗りを重ねる海尋に、両手をぶんぶんと振って否定をするものの、またまたぁ、とふたりは揃ってにやりと笑う。
そんな事はない、兄に対してならともかく、どうして主に対して妬かなければならないのだ、確かに何やら釈然としない思いは抱いていたが、そうではなくて。

否定の感情を込めてにやつくふたりを睨みつける、相変わらず加州清光は海尋の背中に取り付いたままだ。
その姿はまるで家族か何かのようで、決して主従のそれではない。
そうだ、きっとそれが釈然としないからこそ、こうして妙にもやもやとしたものを感じるのだ。



「だいたい、加州殿はいつも主との距離が近すぎるんだ!
 仮にも己の主君であるのだから、それなりの態度というものが……」


「良いじゃん別に、主はそういうの気にするタイプじゃないし」


「そうそう、今更そんな事気にするような間柄でもないしなー」



ねー、と海尋と加州清光が顔を見合わせて笑う。
肩に頭を乗っけた状態であるので当然その距離は近く、鼻先が触れ合いそうなほどだ。
よくもまあそんな距離で平気でいられるものだ、普通他者とあんな距離でいては、多少なりとも動揺するものではないのだろうか。
そう思った瞬間、不意に先の主の言葉が頭をよぎった、そんな事を気にするような間柄でも、ない?



「……も、もしや主と加州殿は、その、恋仲なのか………?」



微かに浮かんだ懸念を、口にする。
もしも、もしもそうなのであれば、この距離感だって何らおかしい事ではない。
………おかしいことではないの、だが。

動揺の現れる指先に差されたふたりは先ほど以上に目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをする。
そしてたっぷりの沈黙を続けたあと、不意に、つい、と加州清光がその紅い瞳を細めた。



「…………だったら、どうする?」



海尋にしなだれかかりながらわざと甘ったるく発されたその声は、どこか妖艶さすら含んでいて。
膝丸はわなわなと唇を震わせて、そして真っ赤な顔でがばりと踵を返した。



「……っ、あ、兄者に呼ばれていた用事を思い出した! しばし御前を失礼するぞ!!」



勢いよく襖を開けて出て行った膝丸の足音が、ばたばたと騒がしく遠ざかっていく。
しばらくそのままくっついていた海尋と加州清光は、ぶふっ、と同じタイミングで吹き出した。
一端堰を切ってしまえば、あとは腹を抱えて笑うだけだ。
ひとしきり爆笑を繰り広げた加州清光は、目元に浮かんだ涙を拭いながら、はー、と息を吐き出した。



「ちょっとからかい過ぎたかな、ああいうタイプってほんとからかい甲斐があるよねー」


「兼さんのことかー!」



同じくようやく少しは笑いを収めた海尋が、未だかすかに肩を震わせながら加州清光に応える。
笑いの閾値が低くなっている加州清光がその言葉にまた吹き出して、ようやくふたりの笑いが落ち着いたのはもうしばらく後のことだった。

随分と腹筋を鍛えてしまったために軽い疲労に襲われたのかばたりと畳の上に倒れ込んだ海尋を、加州清光は目を細めて見やった。
まさか恋仲とは、もちろん海尋とそんな関係になった覚えはないし、だからこそそんな風にも見えるのかと新鮮な気分すらする。
けれどそれは不愉快でも何でもなくて、むしろ少しだけ嬉しいようにも感じた。



「………恋仲、かぁ」



思わず口にしたその言葉に、仰向けに寝転がったままの海尋が加州清光に目を向ける。
ばちりと視線が噛み合って、ふっと海尋が頬を緩めた。

やわらかくてあたたかい、大好きなひとの笑顔。



「どうした清光、俺と恋仲になってみたいのか?」



そのひとは試すような声色で、戯言を口にする。
いや、もしかしたら試しているつもりなど毛頭ないのかもしれない、ただ、そう感じただけなのかもしれない。
けれどなんとなく、なんとなくそう感じてしまった加州清光は、ゆっくりと瞼を閉じる。
一息、ふ、と息を吐き出して、にっと海尋に向けて笑いかけた。

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